主題 <悔い改めて再び立ち上がる>
聖書箇所 士師記 16章 (2012年10月 6日)
今日のみことば「サムソンは主に呼ばわって言った。「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」」(28)
「彼は主が自分から去られたことを知らなかった。」(20)ここにサムソンの悲劇がある。なぜこのような悲惨な結果になってしまったのだろうか。
4~22節には、悪女デリラの誘惑について記されている。サムソンの悲劇の始まりは女性による誘惑と言う最も彼の弱点をつかれたことによっている。サムソンは、再び異邦人である、ペリシテ人の女性を好きになってしまう。しかも、彼女を愛してしまった(4)。しかし、デリラは彼を愛していなかった。彼女は、彼を裏切ることにより報賞金を得ようとする。サタンの働きは巧妙で、今日の私たちにも弱さをついてくるということに注意しなくてはならない。
悲しいことに、サムソンは、彼女の陰謀を知り、自滅することになるのにもかかわらず、彼女に本当のことを打ち明けてしまう(17)。誰かを愛すると、人は盲目になりやすい。またサムソンには、自分の力が決してなくなることはない、というおごりがあったのであろう。ついにサムソンは捕えられ、牢の中で臼をひくまでになってしまった。
しかし、敗北に終わったかに見えた、ここに主の恵みを見る。それはサムソンの髪の毛が伸び始めるにつれて、彼の力が戻ってきた。そして、彼は最後に主に祈り、その力をイスラエルの救いのために用いたのだった(28-30)。
私たちも悔い改めの機会を生かし、再び主から力を得て歩むことができるように祈ろう。