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2013年1月16日 (水)

主題 <主の御心が示される時>

聖書箇所 サムエル記第一 9章  (2012年10月24日)

今日のみことば「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。」(15)

 前章でイスラエルの民は王を求め、この求めを聞き入れるように言われた主は一人の王をたてられようとする。それがサウルであった。このところにも主の導き、御心を示されていく。
 「サウルが来る前の日に」サムエルに対して、明確な導きがあったことは興味深いことである(15、16)。主は充分な配慮をなされ、サムエルに対して、事前にサウルの来訪を知らせただけではなく、彼がサウルと初めて出会った時には、「ここに、わたしがあなたに話した者がいる」と誤解しようがないほど明確に告げられた(17)。サムエルはサウルとは面識がなかったが、主の確かな導きのゆえに、王の候補者を取り違える心配はなかった。
 サウルの来訪を事前に知らされたサムエルは、彼のために席を設け、食事を整えさせ、まだ見ぬ王の候補者を迎えるための備えを怠らなかった(23、24)。それはサウルが、このような思いがけない事態を、本気で受け止めるための助けになったに違いない。
 いきなり、自分がイスラエルの王の候補者とされていると知った、サウルの驚きと戸惑いは、どれほどであったろうか。彼が尻込みをしても、仕方がないように思える(21)。しかし、サムエルはためらうことなく、どんどん事を進めて行った。サウルには選択の余地など与えられていなかったのである。神の導きは、時には準備のないままに受け取らざるをえないような、強引な形で示されることもある。
 サウルはサムエルの言われるとおりに受け止めていく。私たちもいつどのような時にも主のみこころを求めていくが、それと同時に示されたならば受け止めて行く備えもして行かなくてはならないことを教えられる。