主題 <主によって新しくされた者としての自覚>
聖書箇所 サムエル記第一 10章 (2012年10月25日)
今日のみことば「サウルがサムエルをあとにして去って行ったとき、神はサウルの心を変えて新しくされた。こうして、これらすべてのしるしは、その日に起こった。」(9)
王の任職の油注ぎが、サムエルによって初めて行われた。サウルは、神に仕えるしもべとしての王に選任されたのである(1)。このことが、神ご自身から出たことだということを確証するためと思われる一連のしるしが、具体的に、また詳細に、サムエルによって告げられたが(2-6)、それらのすべてが、そのとおりに、その日のうちに起きた(9)。
サウルがギブアで預言者の一団と出会うと、告げられていたとおり、聖霊が彼の上に激しく下り、「彼も彼らの間で預言を始めた」(10)。サウルを知っている地元の人たちにとって、「サウルもまた、預言者のひとりなのか」ということわざができたほど、そのような彼の姿は、あまりにも意外であったのだろう(12)。サウルは「新しい人」に変えられた(6、9)。
しかし、サウルは王としての任職の油を注がれ、聖霊を受けたにもかかわらず、王としての自分の立場を明らかにすることに、積極的ではなかった。「サウルは、サムエルが語った王位のことについては、おじに話さなかった」し(16)、くじによって民の間で王として確立された時にも「荷物の間に隠れている」ところを見つかっている(22)。また王として選ばれたサウルを軽蔑し、彼についていこうとしなかった者たちの不遜な態度を、黙って見過ごしにした。
ここにはサウルの王として召されながらもまだ自覚しきれていない弱さが見られる。結果的に、その弱さは神への徹底した従順にならなかったことを後にみることになってしまった。私たちも主の召しに速やかに従順に仕えられるように備えていかなくてはならない。