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2013年1月16日 (水)

主題 <自分の満足のために行動していないか>

聖書箇所 士師記 18章     (2012年10月 8日)

今日のみことば「あなたがたが行くときは、安心しきっている民のところに行けるのだ。しかもその地は広々としている。神はそれをあなたがたの手に渡しておられる。その場所には、地にあるもので足りないものは何もない。」」(10)
 ダン部族は自分たちが住む相続地を求めて、斥候を派遣し、エフライムの山地を行き巡らせた(2)。彼らはミカの家で祭司と出会い、その旅が成功するかどうかを尋ねた(5)。祭司は、主の名を用いて祝福を保証している。しかし、この戦いが本当に主からの命令ではなく、ダン族の占領地を得ようとする求めから始まっており、主からの命令ではないのに、主の名を安易に用いてしまっている問題がこの時にあったことを忘れてはならない。
 五人の斥候は、無防備に見えたライシュに目をつけた。他の町から孤立しており、あらゆるものが満たされている町であった(7)。ダン族はそこで平穏に住んでいた人々を皆殺しにし、占領しようとした(9)。ここには信仰による勝利でなく、占領し自分たちの富のみに動されていることに問題を見出すのである。
 ミカの祭司となったレビ人も、金銭と地位で動かされる者であった。彼は職場を求めて旅をし、お金でミカに雇われて使用人のようになり、そこへダン族が来てもっとよい条件を言うと、ミカを捨てて偶像と一緒に出て行ってしまった(20)。ミカは、ダン族に偶像と祭司を返してほしいと求めたが、彼らが強いことがわかり、あきらめた(26)。  
最終的にダン部族はライシュを攻め取り、名前をダンと変え、さらに自分たちのために彫像を立てた(30)。どこまでも自分たちの勢力を誇示し、自分たちの部族の繁栄のみに生きている。それが正しいとして生きていたダン部族は愚かであった。
私たちも神を忘れ自分の満足のために行動してしまっていないか注意したいと思います。