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2013年1月16日 (水)

主題 <犯してしまった罪に対して>

聖書箇所 サムエル記第二 24章 (2012年12月 9日)

今日のみことば「ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」」 (10)  
 ダビデは人口調査を思い立った。主がそうさせたように書かれているが、実はそうではなく、ここにはダビデの罪が潜んでいたのである。それ故に、ダビデは後に、罪を告白して赦しを求めている(10)。
 人口調査は、兵力の把握のためであった。イスラエルの安全と繁栄は、ただ主によるのであったが、この人口調査には、国力増強という人間的な目論見ががあり、それは主に対する不信と高ぶりが潜んでいた。調査の結果、イスラエルの兵力は八十万人、ユダは五十万人とわかった(8、9)。
 この人口調査という一見なんともないと思われる行為が王の犯した不信の罪のために、わざわいが科せられることとなった。三つの選択肢のうち、ダビデは三日間の疫病を選んだ。主のあわれみに望みを置いたのである(14)。全土で七万人が疫病によって死んだ。都を滅ぼそうとする御使いを見て、ダビデが、わざわいは王と王家の上だけにと、とりなし祈った時、主は、エブス人アラウナの打ち場のところで御使いが民を打つのをやめさせた(16、17)。
 ダビデは、主に従って、アラウナの打ち場を買い取り、そこに祭壇を築いて、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主はこの国の祈りに心を動かされ、神罰はやんだ(25)。この打ち場は、やがて神殿の立つ場所となる(I歴代22:1)。ダビデはアブラハムの子孫として、主の約束を信じる代わりに、民を数えるという不信の罪を犯した。その罪を蹟うための祭壇が、そこに築かれ、やがては神殿が建てられた。主は人の不信の罪さえもお用いになって、ご計画を成し遂げられた。