主題 <顧みる人はいないか>
聖書箇所 サムエル記第二 19章 (2012年12月 4日)
今日のみことば「それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。」(7)
息子を失った悲しみの中に閉じこもるダビデの姿は、民をひどく戸惑わせた(1、3)。ヨアブは「王のために忠誠を尽くし、勇敢に戦い、勝利をもたらした民の功労を顧みることもなく、ただわが子の死を嘆くのであれば、結局のところ、王にとって大事なのは自分の家族だけだということを明らかにしているようなものだ。今すぐ、民を顧みなければ、民はみな王から離れ去って行くであろう」と進言した。ダビデはそれを受けて再び立ち上がった。
ダビデはアブシャロム側についた民を迎えるように命令し和解の手を差し伸べた(11~12)。また、ヨアブに代わって、敵の将軍だったアマサを軍団長とすることを決め、王の命令を無視して息子を殺したヨアブの不遜に報いた(13)。逃げる途中で、王にのろいのことばを浴びせ、一行に向かって石を投げたベニヤミン人シムイが、ひたすら赦しを乞うた。ダビデをのろったシムイを死に定めようとするアビシャイに、王は、これは自分の問題で彼には関わりがないこと、凱旋の日に人を殺すべきでないことを告げて、シムイを寛大に処遇した。メフィボシェテが不自由な体を押してダビデを迎えてきたの見て、かつてツィバにすべての土地を与えるとしていたのを二人で折半するように変更した(29)。マハナイムでダビデに仕えたバルジライにはその功績をたたえ都に同行するように求めたが高齢を理由に断り、代わってキムハムを同行させてくださるように願った(34~37)。ダビデはそれぞれの人々に正しく報いようと行動したのだった。
今日、私たちも顧みるべき人がいないか考えましょう。