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2013年7月 3日 (水)

主題 <一つのまっすぐな信頼を> 

聖書箇所 ヨブ記 23章      (2013年5月25日)

今日のみことば「神は力強く私と争われるだろうか。いや、むしろ私に心を留めてくださろう。」(6)

ヨブの心がひがまずに答えた言葉に心を動かされる。この古い時代に、福音の中心、神の変らない愛、あわれみを深く受けとめていたことに驚くのである。神は、むしろ私と争うことよりも、心を留めてくださっていることを確信した信仰表明であるからだ。
 そこにおいて神は私を正しい者として扱ってくださる。つまらない存在、正しくない者、訴えられた者としてなど決して扱おうとされていないのだ。
 神の前に私たちが立つときに、はたしてこんな信仰が見られるだろうか。多くの恥ずべき存在であることを思わないで、神の慈しみを信じることである。その唯一の根拠が、救い主イエス・キリストの十字架の贖いにあることをしっかりと覚えよう。
 ヨブの、こうした福音理解に立って自己を見つめる視点を示してくれる。同じ時代と言われるアブラハムもまた、『神を信じた。神はこれを義とされた』と信じたようにである。(創世記15;6)
 神に会えるなら、御座にまで行きたい(3)。2節の通りに神こそ、ヨブにとっての真実の友となっている。地上の頼る存在を神は砕かれていくのだろうか。また人からあれこれをさばかれることなど、みじんも心を動かされないパウロのようにさえ変る(Ⅰコリント4;3-5)。
 神の心の広さを自覚しようと思う。人間の世界の狭い了見から解放されよう。神は私たちよりはるかに心の広いお方なのだ。一つの真っ直ぐな信頼を神の上に置くことを決意しよう。神は心の欲するところを行われるからである(13節)。