主題 <謙遜に主に仕える者として>
聖書箇所 歴代誌第二 2章 (2013年2月25日)
今日のみことば「天も、天の天も主をお入れできないのに、いったいだれが主のために宮を建てる力を持っているというのでしょうか。また、主のために宮を建てるというこの私は、いったい何者でしょう。ただ主の前に香をたくためだけの者です。」(6)
ダビデによって神殿建設の準備はほとんど用意され、その周到な準備に乗りさえすれば、もう建設が始まるかのような印象がある。しかし、ソロモンもまた神殿建設準備のため、木材などをツロの王フラムに求めた(3)。
ソロモンはフラムヘの要請の中で、建設の目的ゆえに資材を求めていることと、自分が神の御前にどのような存在であるのかを述べている(4、6)。「私は、いったい何者でしょう」という問いを、父も同じように繰り返していた(I歴代17:16)。彼は、神の御前での小さい存在である自分を自覚し、恵みにより建設準備をするにすぎないことを告白した。ソロモンも自分が小さな者であることを覚え、謙遜な礼拝者だった。
しかし、そのソロモンが謙遜さと同時に、宮の建設については「私が建てる」と繰り返している(4、5、9)。なぜ、主の御前に謙遜をわきまえたソロモンが、神殿建設に対しては自らを強く主張しているのだろうか。それは神殿建設を主からの任務として自覚するゆえの主張であろう。父にではなく、ソロモンに与えられた責務ゆえに、自らが主への仕え人として神殿建設を全うしようとする態度の表れなのである。
礼拝者ソロモンは主の宮を建設し、そこで主を礼拝することを切に願った。主の御前にある自分を知り、主との交わりの確かさのうちに平安を覚える者の姿がそこにある。主との親しい交わりを前提に、主から自分へ与えられた任務を理解しているからこそ、「私が建てる」と語っているのである。
今日の私たちも主の前に謙遜に歩み、主からの使命を自学して歩む一日としたいと願います。