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2013年7月 3日 (水)

主題 <主を恐れる知恵>

聖書箇所 歴代誌第二   1章   (2013年2月24日)

今日のみことば「今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」 (10)  

ソロモンの具体的な歩みについて、歴代誌では、彼がギブオンにある高き所に行ったことから始まる。「高き所」は、聖書の中で、偶像礼拝の場として登場することもあるが、この「ギブオンの高き所」は、3節にあるように、モーセが造った天幕のある場所であり、真の神の礼拝場であった。列王記では、ソロモンの名前だけが礼拝者として書かれているが(I列王3:4)、歴代誌では、イスラエルの「全集団」が一緒にギブオンで礼拝するために出かけたとある(3)。民は、ダビデから、そのような信仰をしっかりと受け継いでいたのであろう。
 ギブオンで礼拝した日に、神はソロモンに、願うものを与えると言われた(7)。王としての実力もまだないし、経験も財力も持っていないソロモンは、何を一番先に願うか迷ってしまうくらい、何も持っていなかったのだろう。そのような状況下、ソロモンは「知恵と知識」を求めた(10)。蔵言1章7節には「主を恐れることは知識の初め」とある。ここにおける知識とは、主を恐れることであり、主に信頼し、主を第一にする生き方、態度だと言えるだろう。ソロモンは、主を恐れる生き方をもって、民をさばくことを願った。これは、ソロモンが王として神に政治力を特に求めた、ということでは決してない。ソロモンは民全体の整えのために、自分の任務に徹することができるように、自分自身が信仰者として整えられていくことを願っていた。
 信仰の指導者に最も必要なことの一つは、神を恐れる態度であろう。信仰者すべてにとって、「主を恐れる態度」は最も重要なものであることを覚えたい。