主題 <主への恐れ>
聖書箇所 歴代誌第二 19章 (2013年3月14日)
今日のみことば「今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行ないなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」(7)
戦場から帰還したヨシャパテに、先見者エフーが預言するが、この預言には、彼へのプラスとマイナス両方の評価がある(1~2)。王が、悪王アハブと結託したのは悪い点であったが、滅びることはないという。「主を求める」という信仰は(3)、ヨシャパテの良い点であり、彼は、民を整えるために用いられた。
彼はかつての事業(17章参照)同様に、王国全体に対して働きかける。かつて各地にみことばの教師を遣わしたが、今度は町々にさばきつかさたちをたてる(5、8)。町で起こる人々の間の紛争は様々である(10)。現付的に考えれば、刑事事件と民事事件あるいは宗教的な事件もあったのだろう。人が見ると、諸事件は人間対人間の問題である。しかし、ヨシャパテは、「あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです」と(6)で問題解決は、人ではなく神のためにするものであり、そのさばきには主ご自身が共におられるのだと言う。彼は王として、民がみことばに聴き、みことばが身に着いた生き方ができるよう、さばきつかさを遣わしたのだろう。
7節ではさらに、さばきを忠実に行うよう勧めることばと共に「主への恐れがあなたがたにあるように」と加える(9)。「主への恐れ」は、人々ではなく神の権威を認める態度から生じる(17:10参照)。7節のことばは、神の民が、神の権威のもとで社会生活を営むように勧めることばとして理解できる。本章の内容は列王記には記録されていない。これらの勧めに従わず、ひいては主に従わない結果、国が敗れて捕囚の経験をした民が、この勧めを教訓として、歴代誌に明確に記したのであろう。