« 主題 <力ある神の声を聞きたい> | メイン | 主題 <本当の知恵を追求したい> »

2013年7月 3日 (水)

主題 <自我の主張>

聖書箇所  ヨブ記 27章     (2013年5月29日)

今日のみことば「あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。」(5)

  ヨブはここで自分の主張の中心主題を述べるのである。
その第一は、自分の苦難の源は神にあることを2節で述べる。
「私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者」と言うのである。私たちは、正義がこの世界に行われていないことを見受けるが、それはまだ未完成であるからだ。必ず神は天から降りてきて、私たちの疑問にほんとうに答える用意があるのだ。詩篇の中のダビデは、詩篇27;13-14で「ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら。――待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」と勧めている。
第二に、自分を罪に定めようとして友人たちを義とすることはしない。
自我によってしては、自分を苦しめ続ける友人でさえ、義とすることができないのである。それはとりもなおさず、ヨブの有罪であることを承認することにつながるからである。宗教改革者のルターは、清い良心をもっていた。ウオルムスの議会で立ち、「私は常に良心とともにここに立っている。ほかにすることを知らない。神よ、助けたまえ。アーメン。」と祈ったのだ。ヨハネもまた、「心に責められることがない」(第一ヨハネ3;21/22)と語っている。
第三に、自分に敵意をもっている者たちへの神の裁きがあることを考えている。そういう人々がどんなに蓄えることができても、結局誰かを益するためにほかならないのであって、正しい人のために準備されているに過ぎないのだという。(箴言13;22)神への誠実、ここに人の救いがある。