主題 <神のみが信頼し得るお方だ>
聖書箇所 ヨブ記 17章 (2013年5月19日)
今日のみことば「どうか、私を保証する者をあなたのそばに置いてください。ほかにだれか誓ってくれる者がありましょうか。」 (3)
1節で、ヨブの深い決定的な失望と失意を告白する。「私の霊は乱れ、私の日は尽き、私のものは墓場だけ。」
2節で友人のあざけりの中で眠ることができない。「しかも、あざける者らが、私とともにおり、私の目は彼らの敵意の中で夜を過ごす。」
3節で神以外には信頼できる方がいないと。神だけがヨブの保証をしてくれ、支持してくれる方は神のみなのだ。16;19の「このような時にも、見よ/天にはわたしのために証人があり/高い天には/わたしを弁護してくださる方がある。」(新共同訳聖書)という確信をいっそう深めるのである。
苦悩と孤独、友人からの拒絶を通してヨブはさらに一歩高くされてゆく。さらに強くなってゆく。さらに天に確信を深める。
現実の試練とその試練に対する友人の取り扱いの中で、さらにさらに惨めな気持ちになってゆく(5-18節)のだが、だからこそ、天に望みを託せるようになるのである。この地上での人間的な希望がくじけ、失われ、かえってダメージを与えるのみだ。だから天に望みを一層向けるようになってきたのだ。やがて、19;25「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」と突き抜けるのだが、それはさらにもう一つの訓練の段階が必要なのかも知れない。
こうしてヨブにとっての試練はより一層完全な者へと変えられる契機となってきた。人生の試練は思いもかけない祝福へと導こうとしているのに気付かないことが多い。実は、隠れたところで神は働かれていた。あなたを聖化し、主のみ形にまで成長させる道具だったと。