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2013年7月 3日 (水)

主題 <悔い改めから始まること>

聖書箇所 ネヘミヤ記   9章  (2013年4月19日)

今日のみことば「そして、すべての外国人との縁を絶ったイスラエルの子孫は立ち上がって、自分たちの罪と、先祖の咎を告白した。」(2) 
その月の二十四日に、民は集まった。「断食をし、荒布を着け、土をかぶった」のは(1)、深い悲しみや悔改めの表現である。これが、律法を聞いたイスラエルの応答であった。彼らは「すべての外国人と縁を断った」(2)。この応答は、神の民としていのちを失っていた者が、契約の民に戻ろうとしたことを示している。それは、多くの痛みや、悲しみを伴ったに違いない。しかし、ここから神の民としての回復が始まったと言える。
 まず、神が天地万物の創造主であることが告白されている(6)。さらにその神は、アブラハムの心の真実をご覧になり、彼と契約を結ばれ、その子孫に約束の地を与えられたことが確認されている(8)。創造主は、また、歴史を導かれるお方なのである。出エジプトに際しては、パロにしるしと不思議を行われ(10)、海を分けられた(11)。神はその民のために、歴史に介入され、ご自身の力を現された。荒野においては、雲の柱、火の柱で民を導き(12)、パンと水を与え(15)、民の導き手であったことを明らかにされた。それと共に、シナイ山では彼らに律法を与えられた(13)。そして、聖なる安息を教えられた(14)。神の交わりが回復されるということは、同時に安息に入ることとして教えられているように記されている。
 しかし、16節以降では、神から離れていく民の姿が示され、しかし、神はあわれみをもって臨まれ続けていたことが記されている。神との交わりに入れられることをまず第一に求めていくところから始める信仰者でありたいと思います。