主題 <主の憐れみは尽きず>
聖書箇所 歴代誌第二 36章 (2013年3月31日)
今日のみことばところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。」 (16)
本章ではエホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、そして最後の王ゼデキヤについて、簡潔に記録されている。そこには統治期間と、多くは「主の目の前に悪を行なった」ことが中心に記されている(5、9)。ゼデキヤは預言者エレミヤに対してへりくだらなかった(12)。もちろん、これは一預言者に反抗したことでなく、神のことばに聴き従わなかったということである。
このように、王および民の信仰状態が悪くなる中、当然のごとく、神の民の国が消滅してしまう(17-20)。しかし、民の心が最悪の状態であっても、神はまだ民をあわれんでおられた。神は変わらず預言者を送った。エレミヤが送られ(12)、エゼキエルもダニエルも、バビロン捕囚の時期に送られ、活躍した預言者たちであった。神は預言者を遣わして、民が立ち返ることを待っておられた。民の背きに背きを重ねる愚かさを超えて、主は預言者を用いて語り続けた。
22節以降は、エズラ記冒頭と重複する(エズラ1:1~3)。ペルシヤ王クロスの勅令により、神の民はエルサレムに戻ることが許された。歴代誌は、このような時期に、神殿再建、信仰生活の再建を願う民の間で読まれた。国が敗れて後、信仰の希望など抱くことができないような状況だとしても当然であった。しかし、神は民をあわれみ、預言者を用いて語り、さばきと同時に次への準備期間も与えられて、信仰によって歩み続けるようにと導かれた。
主の憐れみは尽きず、絶えず主は語り続けて下さいました。私たちも今主のみことばに聞く者とならせて頂きたいと思います。