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2013年7月 3日 (水)

主題 <神への絶対の信仰>

聖書箇所  ヨブ記 13章     (2013年5月15日)

今日のみことば「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。神もまた、私の救いとなってくださる。神を敬わない者は、神の前に出ることができないからだ。」(15~16)

 この聖句はヨブの信仰の核を表している。神への絶対的な信仰は、たとえ神が私を殺しても、神が救いとなることを確信している。
 神が世界を支配し、正しい者に幸いを、悪の人に災いを報われるという伝統的な神学も心得ている。それで私の苦悩を解決できると思っているのか。私にとっては神と直接に論じ合いたいと言うことだ(1-3節)。そこで神のみこころが何処にあるのかをはっきりとさせたいと願っている。
 神は私を殺すかも知れない。しかし、私はなおも神を待ち望むというのである。以前の口語訳聖書では、『絶望だ』と訳したが、新改訳聖書のほうが適訳である。昔の文語訳聖書は『彼われを殺すとも我は彼に依頼まん。』であり、ヨブの信頼をよく表している。
 神を敬わない者は神の前に出ることができないからだという。それは神との距離を置こうとする人間の姿勢である。しかし、神の救いと祝福にあずかれるのは、求めて始めてやってくるものだ。神を自分の直接の相手として私の道、歩み、すべてを主張しよう。人が私を正しいと言おうが、悪いと言われようが、神の前における生活こそ、神の国がやってくるのだ。神の国は激しく攻める者が奪うのだ。
「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイの福音書11;12)。神が自分を殺すようなことがあっても神を信じることを貫くという力強い告白をすることができる。