主題 <王妃ワシュティ>
聖書箇所 エステル記 1章 (2013年4月24日)
今日のみことば「しかし、王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、…」(12)
エステルが登場する背景が述べられている。王のふるまい、権勢、組織、生活を十分に読み取ることができ、興味が尽きません。
しかし、エステル記には「神」という言葉が出てこない聖書の中の唯一の書ですが、実に<神の時>がそこここに見られるといわれているほど、神の摂理の御手を拝察するのです。
ことに、12節で王妃ワシュティが王の命令を拒みます。なぜだったのでしょう。気持ちが悪かったのでしょうか。あるいは、美人で気位が高かったのでしょうか。病気でしょうか。想像して下さい。いずれにしても王妃は王の命令を拒み、王を怒らせ、王妃の冠がはがされてしまうのです。
そして、不思議な神の配在は、その地位にユダヤ人エステルを据えられることとなるのです。まったくふさわしくない婦人です。エステルは、奴隷の娘の身分でした。ところがアハシュエロス王の第7年に王妃につき、第12年にユダヤ人大虐殺が行われようとしています。その救いの準備として、一王妃のわがままが1章に記されているのです。
<祈り>主よ。私たちの周囲の自己中心な混乱さえ、あなたがかかわるときに聖化に導かれます。