主題 <天に届く声>
聖書箇所 歴代誌第二 30章 (2013年3月25日)
今日のみことば「それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。」(27)
30章では、ヒゼキヤ王は過越のいけにえをささげるよう呼びかけた。大群衆の中で、祭司とレビ人たちは、いけにえをささげる段階になって、自らがその役割にふさわしく聖別されていないことを恥じた(15)。それは、偶像を除きつつも、彼らがしばらく偶像礼拝に陥っていたためであろう(14)。祭司、レビ人は、聖別していない他の人々をとりなす役割を負い(17)、ヒゼキヤもその役割を負った(18、19)。エジプトからイスラエルを救い出した主は、神の民それぞれを救い出した。各個人が、主の救いの恵みに立ち返る必要があった。そして神の民全体が、神殿において過越の祝いを喜んだ(21)。彼らは定めに従って七日問、祝ったが、それだけでは満足せず、さらに七日間にわたって祭りを延長した(23)。
この過越の祭りは神の民を整え、延長して行われたこおは、単なる儀式以上に、この祭りを通して民たちに大きな喜びを満たしていく結果となった。その喜びは、かつて神殿を建設し奉献した、ソロモン以来であった(26)。この喜びのうちにある神の民の声は、天に届いた(27)。
主は今日も礼拝されるべきお方である。そして、私たちは毎週の礼拝ごとに主の臨在を覚えて、喜びの声をもって礼拝しているだろうか。
その声は天に届いている。つながっているということを覚えて、礼拝をささげていくものとならせて頂きたい。