主題 <神を恐れる生活>
聖書箇所 列王記第二 22章 (2013年 1月22日)
今日のみことば「彼は主の目にかなうことを行なって、先祖タビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。」(2)
マナセは信仰的な父ヒゼキヤに育てられたのです。小さいときから神に従うことを見て祝福を学んだでしょう。しかし、悪王になり、ヨシヤは不信仰の父アンモンに育てられて偶像礼拝の中で、決定的な正義のクリスチャンになったのです。
私たちの生活の中で、公的な生活と私的な生活を切り離してはいないでしょうか。敬虔な両親の子供は、両親が公の席ではりっぱなのに、家庭に入ると、ふしだらだったら子供はどう思うでしょうか。
マナセは若くして世を去った父の教育を受けられなかったかも知れません。人は若い時は、何でも理屈をつけてみたがるものです。しかし、その考えが途中でつくり変えられていくのが大人といえます。マナセは残念ながら変えられていくのが遅すぎたのです。最晩年に悔い改めますが、時既に遅かったのです。<24;3-4>
一方、ヨシヤは父の悪を見て、決してこうなるまいと決心したろう。よく世間で、酒乱の父をもった子は、決して酒をのまなくなるようにである。我々はそれぞれ父を持っている。心から尊敬し、父を人格者と認められる目を持ちたい。また、神を恐れる生活を日々に歩みたい。
<祈り>主よ。置かれた家庭で、あなたからの訓練を受け取れますよう。