主題 <悪者が栄えているように見えても>
聖書箇所 詩篇 10章 (2013年6月23日)
今日のみことば「主よ。立ち上がってください。神よ。御手を上げてください。どうか、貧しい者を、忘れないでください。」 (12)
なぜ、悪者が存在するのか。今日の私たちも同様の疑問を持っておられる方も多いと思う。紀元前に生きた詩人が問いかけておられるように、この地上に生きている限り、いつも絶えず問いかけられることであり、正しく生きようと願うならばなおさらのこと、この世に悪者、悪意があるのを感じさせられるのである。
詩篇10篇には、悪者の行いや姿について、いくつか具体的なことを指摘している。貪欲、高慢、神を侮る、のろい、欺き、しいたげ、罪のない人を殺す、不幸な人をねらっている、悩む人を捕らえようと待ち伏せるなど、目を覆いたいと思われるような悪意に満ちていることを指摘している。これらのことを持っているとされる悪者たちは、「神はいない。」(10:4)、「私はゆるぐことなく、代々にわたって、わざわいに会わない。」(10:6)、「神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。」(10:11)と言っており、神を認めることもなく、侮り続けている。詩篇10篇の著者である詩人が「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。」(10:1)と問いかけるのも当然のように思われる。
でも12節のように「主よ。立ち上がってください。神よ。御手を上げてください。どうか、貧しい者を、忘れないでください。」と願い求めていることばも同時に覚えたい。神を神とすることのできない悪者の結末は、一時は栄えているかに見えても滅びなのである(10:1)。最後は神の前に忘れ去られることのない者とされていることが重要なのである。今日も主は貧しくある者である私たちの問いや求めに答えてくださるお方(10:17)であることを覚えたいと思います。