主題 <愚か者は心の中で>
聖書箇所 詩篇 14篇 (2013年6月27日)
今日のみことば「愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。」(1)
本篇は、53篇と内容が類似している。53篇は、本篇を後になって書き改めたものと思われ、同じ様な内容が繰り返されて編纂されているというところに、この詩篇の重要性を感じさせられる。
1~3節は、神の目から見た人の状態と考えれば、よく理解できる。アダムが罪を犯して以来、すべての人は神の前に罪人となった。「義人はいない。ひとりもいない」と書かれている通りである(ローマ3:10~12)。「愚か者」(1)は、ヘブル語では「ナバル」である。サムエル記第一25章に出て来る、愚かな男(ナバル)のことを思い出す。彼はダビデから受けた恩を無視し、神の前に、意図的に非常に挑戦的な態度を取った人だった。残念ながらナバルのような愚かな者は、現代でも至る所にいる(2、3)。3節はある程度は誰もがそうであることを意味している。私たちは、聖なる、また義なる神の前に、「だれもかれも腐り果てている」。この腐敗は、悪しき行いに発展する(三節後半)。愚か者はなかなか学ぶことがなく、また自分の愚かさの度合いを見ることができない。彼は神の前に誠実に歩もうとする者たちを、迫害することが多い(4)。これが、この詩篇の要点である。すなわち、人の愚かさは、神がおられること、そして神がすべての物事の中心で働いておられるという真理を見えなくしてしまうことが示されている。
しかし、実は神は正しい者と共におられる(5)。神を信じながら、この世にあっては悩んでいる者たちを、愚かな者たちは、はずかしめようとするであろう。しかし、主は彼らの避け所となって正しい者たちを守られる(6)。やがてメシヤ(キリスト)がシオンから来られ、信じる者のために正しいさばきを行われる(7)。