主題 <敵の罠の中にあっても>
聖書箇所 詩篇 35篇 (2013年7月18日)
今日のみことば「こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。」(9)
このときの敵は、ずるがしこかった。彼らは、突然跳ね上がる網や、いったん落ちたら這い上がることのできない落とし穴のようなわなを、ダビデに対して仕掛けた。こうしたことを思い描きながら、きょうの箇所を読もう。
ダビデは、自分と争う者を主に訴えている(1-6)。自分に力を与えて勝たせてくださいというのではなく、主ご自身が私のために戦ってくださるようにとの訴えである。また、それは執拗な訴えでもあった。ダビデは「いつまでながめておられるのですか」(17)、「目をさましてください」(23)と、自分に対する救いのわざが速やかになされることを、繰り返し求めている。それは個人的な復讐を求めているのではなく、神の義の実現を願う祈りであった。このときの彼の敵とは、見ず知らずの者ではなく、かつて彼がとりなした人々であった。13~14節に、作者が彼らのためにどのような思いで、どれほどとりなしたかを見ることができる。彼は、荒布をまとい、断食をし、母の喪に服するように祈ったのである。
ダビデの神への訴えの根拠はどこにあるのだろうか。それは、彼自身にあるのではなく、24節に「あなたの義にしたがって」とあるように、神の義とあわれみにある。また、彼の救いとは、自分が危険やわなから逃れることや、敵が滅ぼされることだけを意味するのではなく、彼自身が主にあって喜び(9)、また主の御名がたたえられるところにある(27-28)。
主は私たちが困難の中にあっても、主にとどまり続けることを願っておられる。また、敵に対する本当の勝利は、私たちがどんなときにも主にとどまり続けることにある。