主題 <主のさいばらしさを見つめることから始めよう>
聖書箇所 詩篇 34篇 (2013年7月17日)
今日のみことば「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」(8)
詩篇34篇はダビデがサウル王に追われガテからアドラムへ逃れていき、アビメレク王(Ⅰサムエル21:10-15参照。ここではガテの王アキシュと書かれているが同一人物である)の前に出た時、気が狂ったふりをして、身に迫る危険を逃れたという経験をしたことが背景となっている。
ダビデは、4節に「私をすべての恐怖から救い出してくださった。」と言っているように、正気でありながら、気が狂ったふりをしなければならなかったことを想像すると、それはよほどの極限であり、恐怖の極限の中にあったと言ってよいだろう。しかし、ダビデはそのような極限の中で、外見は気が狂ったように振舞わなければならなかったが、しかし、その内心はゆるがないものがあったことを感じさせられる。5節に「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。」とあり、恐怖の中にあって、恥じ入るばかりに見える姿であっても、主を仰ぎ見る者こそ救いがあり、他に比べることのできない輝きがあることが言われている。確かに、今日、私たちの身近におられる信仰生活の先輩の方々の中に、円熟した信仰の姿勢に他に比べることのできない輝きを見るように思う。
8節「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」とあり、主を仰ぎ見るということは、さらには主のすばらしさを味わうように見ていくことであることが言われている。圧倒的な恐れの中にもゆるがなれない主にある輝きを持つ者となるために、まずは主のすばらしさを思い見つめていくことから始めようではありませんか。