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2014年6月13日 (金)

主題 <苦難のしもべ>

聖書箇所  詩篇 22篇      (2013年7月 5日)

今日のみことば「地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。」(27)
ダビデは苦しみの中で、この詩を歌ったと思われる。彼が受けた苦しみは、将来、ダビデの子孫としておいでになる、メシヤが受けられる苦難の予表でもあった。
1~2節は、苦しみの中の叫びである。マタイの福音書27章46節と比べてみよう。メシヤは人類の身代わりとなって、父なる神から引き離されるという恐ろしい苦しみを昧わってくださるのである。
3~5節において、ダビデは、神が信頼に応えられるお方であることを告白している。それはイスラエルの歴史を振り返るときに、当然出てくる告白であった。
6~8節は、ダビデによる、そしりの中にある自分の告白である。彼は、自分が人間ではなく虫けらのように感じた。彼は人々からさげすまれ、あざけられた。やがておいでになるメシヤは、やはり人々から、そのような非難を受けられる。マタイの福音書27章39-43節と見比べてみよう。
9~10節は、ダビデの素晴らしい信仰告白である。彼は、自分にいのちを与えられたのが、神であることを告白している。
11~18節は、まさに十字架の苦しみの予表であると言われている。特に14~15節は、十字架の上に両手両足を釘づけにされてぶら下げられている者の苦しみを表しているという。メシヤがお生まれになる何百年も前に、このようなことが歌われたとは、何という不思議なことであろうか。18節に書かれている預言の実現についてはヨハネの福音書19章24節を参照。
19節以降は、一転して賛美である。主は祈りに応えて、ダビデを苦しみの中から救い出してくださった(24)。