« 主題 <神の御前に思い巡らす恵み> | メイン | 主題 <感謝のいけにを主にささげよ> »

2014年6月15日 (日)

主題 <代価を払って下さる神> 

聖書箇所  詩篇 49篇      (2013年8月 1日)

今日のみことば「しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。」(15)

 この詩篇には、私たちが聞くべき「知恵」のことばが語られている。私たちは物質中心の世界、すなわち、物や富がすべてを解決するように思われる現実の中に生きている。しかし、それらによっても解決できないことがある。人の死の前には、富も、栄誉も無力なのである(16、17)
7~8節に、「買い戻すことはできない」、「自分の身のしろ金」、「たましいの贖いしろ」とあり、これらをだれも神に支払うことはできない。すなわち、神が私たちの罪に対して死罪の宣告をされるときに、私たちの持ち物をすべて売り払っても、「身のしろ金」とはならない。すなわち富は、罪から来る報酬としての死(ローマ6:23)を免れ、永遠のいのちを得る、身のしろ金とはならないのである。
 主イエスは、「愚かな農夫」のたとえを話された(ルカ12:13~21)。彼は、豊作であった穀物を大きな倉にしまいこんで、それで「安心」と思った。しかし、その夜、彼のたましいが「取り去られる」と宣告された。そのとき、彼が用意した物は、何の役にも立たなかった。「しかし、神は…買い戻される」(15)と言われており、人にはできないことを、神はしてくださった。一般的に、借金を支払うことのできない者にとっての解決は、その借金をだれかに肩代わりしてもらうか、帳消しにしてもらうことである。
 神は、御子(主イエス)の十字架により、御子を贖いの代価として、私たちを買い戻された。今、私たちは、御子の十字架によって、「神が私を受け入れて」(15)くださったことをこの詩篇は感謝を持って賛美している。私たちも今日、主の贖いを覚え感謝をささげましょう。