主題 <本当の拠り所>
聖書箇所 詩篇 11篇 (2013年6月24日)
今日のみことば「拠り所がこわされたら正しい者は何ができようか」(3)
詩篇11篇1~2節において言われていることは、心の直ぐな人を鳥にたとえて、その鳥を弓矢によって射抜こうとする猟師が迫ってきているから、鳥が山に飛んで逃げるように、今は心の直ぐな人も身を隠し逃げるべきであると、たとえをもって勧告していることを意味しており、この詩篇がダビデの著作によるものであるということから考えて、おそらくダビデがいのちを狙われて逃亡生活をしているときのものと考えられる。この時、ダビデは「主に私は身を避ける。」(11:1)と言い、また「拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」(11:3)とも言い、主なる神こそが身を避ける、拠り所であると告白している。
私たちも行き詰った時、困難な状況の中で逃れる場所を求めることがある。人目を避けたり、誰からも干渉されることのない場所へと逃れたいと考え、行動することがないだろうか。一時的に安心できる場所に逃れられたとしても、そこには問題を回避できたかに見えても、根本的な解決がないことに気付かされることがあるのである。人は本当の逃れる場所を必要としていることを思わされる。
ダビデはその本当の逃れる場所が神のもとであると言っている。主にあって正しく歩み、生きようと願うもの最終的に身を避ける場、拠り所は神ご自身であることを覚えたい。たとえどんなに悪者が襲ってきたとしてもこわされることのない逃れ場が神のもとなのである。そして、そこに本当の導きと解決があることを覚えたい。問題や困難が生じたとき、まず、神のみ前に進み出て行こう。