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2014年6月15日 (日)

主題 <私たちの人生の幸いとは何か>

聖書箇所  詩篇 41篇      (2013年7月24日)

今日のみことば「主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。」(2)

 詩篇41篇の冒頭は「幸いなことよ。」とあり、これは詩篇1篇の冒頭と同じである。詩篇41篇は詩篇150篇の第一巻の終わりでもあり、そもそも詩篇1篇から41篇は最初と最後に「幸いなことよ。」という主題で意図的に編纂され一つのまとまりとなっている。
 これまで詩篇1~41篇の第一巻の中に、苦しみ、悩み、死の危険、罪を犯してしまった現実など私たちも今日経験しうるさまざまな人生の描写を見ることができたと思う。そのような困難な状況の中で、「幸いなことよ。」と最終的に言える理由は何かを考えさせられる。
 詩篇1篇の「幸いなことよ。」と言われているのが、ここでは主のみおしえに心を向けて生きていく者の幸いが語られていました。では第一巻の最後の詩篇41篇の「幸いなことよ。」と言われている中心は何かと言えば、主の見守りのうちにあって生きていく者の幸いと言える。2節に「主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。」とあり、神の御手のうちにある人生こそが幸いであると告白され、さまざまな境遇の中で、最終的には守られているという安心、平安であることこそが人生における幸いであると告白している。
 今、私たちは何をもって幸せと言うでしょうか。私たちの幸福観が自分中心の価値観からのものではなく、神のみおしえに学びつつ、神の御手のうちに見守られてある平安をもって生きることこそ幸いであると言うことを確認させて頂きたいと思います。