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2011年8月10日 (水)

主題 <みことばを説き明かされる主> 

聖書箇所 ルカの福音書  24章  (2011年8月 4日)

今日のみことば「そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」」(32)

聖歌に「主から直接に話が聞きたい」という賛美がある。人生における失望の極みで聞いた主の言葉、それが彼らの心を燃やしたのである。
 困難な問題を抱えて、長い道のりを歩かなければならなかったという経験をしたことはありませんか。そういう経験をした人なら、エルサレムからエマオの途上の11キロの道のりを歩いた二人の弟子のことがよく理解できるでしょう。
 彼らの話題は、つい今しがたエルサレムで起こった出来事であった。起こった出来事については十分すぎる知識を持っていた。だがそれをどう受け止めたらいいのかわからなかったのである。暗い思いを引きずりながら、あれこれと話す内容はみな絶望的なことにのみ結論づけられてしまうのである。
 彼らの傍らに一緒に歩く方がおられた。その方こそ、復活されたキリストであった。主は即座に見えないが、この時ははっきりと見える復活の姿で同行されていたのである。<あなた方の間に、あなた方の知らない方が立っておられる>(ヨハネの福音書1;26)と聖書は証言する。
 この主は、旧約聖書全体からメシヤについての説明をなされた。救い主に関すること、受難の救いの道、復活のことを改めて聞いた。何となく心が明るくなってきた。希望が心の奥底からわいてくるのを感じて、この方と一緒にいたいと強く感じるようになっていった。エマオの村で宿に入ったが、是非同行しましょうと言い、一緒に食事をしたのである。やがてこの知らない方が主イエス・キリストだとわかった。何という驚きだったろう。主が一緒にいたのだ。暗黒の道程にも、後ろから、傍らに同行されているのです。
そう、今日も主はあなたに同行され、聖書を解き明かされるのである。