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2011年9月 1日 (木)

主題 <律法主義ではなく福音主義>

聖書箇所 使徒の働き 15章    (2011年9月 9日)

今日のみことば「私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」(9)

教会は、成長し、拡大をして行きました。ここで重大な教会の霊的な問題が起こってきました。6章で起こった問題とは比較にならないことです。今回は、物質的なことがらよりももっと深刻な信仰問題、霊的な問題でした。異邦人が次々と救われて、教会に加えられましたが、彼らもユダヤ人と同様に割礼を受けるべきではないか、という重要な問題だったのである。
なぜそれが深刻であったかと言えば、今でももしそれが求められていれば、洗礼を受けただけではなく、律法の行いが必要とされるのである。割礼という儀式に象徴される律法主義が新しく生まれた教会をも支配して行くこととなる。こうしてせっかく主が十字架でうち立てた恵みの福音を曲げて、再び暗黒の宗教、ユダヤ主義の教会が再現するのである。
 パウロは世界宣教の経験をもとにして、新しいキリスト教の価値観、生活を押し進めるので、これに内側から抵抗した教会内のユダヤ主義の人々との対立は、とても深刻なことでした。そしてこの時代にこそ解決されなくてはならなかったし、こうした背景から問題が出てよかったのである。
 ペテロのすすめは、異邦人も割礼がなくても救われ、聖霊を注いで下さったと語り、一同が深くうなずいたのである。このうなずきが、これからさらに世界へ羽ばたく教会の使命を果たす原動力になって行きます。私たちもまた長年の慣習、生活習慣、前例などによって、福音が前進することを妨げてしまうことがあるのではないかと考えてみたい。
イエス・キリストを信仰によって受け入れて義とされ、神の子として新生し、長い間の律法による救いとはまったく違う福音による自由に生きるのです。さらにエペソ人への手紙2章に記されています。この福音主義の信仰が、日本に根付いていくことを祈る。