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2011年9月 1日 (木)

主題 <聖霊に満たされた導き手> 

聖書箇所 使徒の働き 8章     (2011年9月 2日)

今日のみことば「すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。」(31)
あの七人のもう一人がピリポである。彼もまた素晴らしい福音に生きた人物だった。彼は熱心な活躍をし、神の福音をあのサマリヤの地に満たし、さげすみの地とユダヤ人が考えていた地にリバイバルが起こったのである。サマリヤとは、ユダヤ人とは近い民族であった。かつてバビロン捕囚の時に残ったイスラエル人が現地の人々と雑婚したのです。このため一層、堕落したと考え、イスラエル人は敵対していた民族であった。しかし、主もあえて行かれたことがある(ヨハネの福音書四章)が、その後にはピリポを遣わされたのである。
 そこでは、町の有力者でさえあった魔術師を職業としていたシモンさえ救われたのである。後に、使徒たちが巡回し、そこにリバイバルされた宣教のみわざに神の御名をあがめた。
 ところが主は、このピリポを成功した宣教の場から、荒野のガザに行けと命じられた。ガザはイスラエルから南にあるエジプトへの通路であった。ここで、エチオピアの高官の救いのために用いられることとなる。大きなみわざがなされたサマリヤから、人の住まないような荒れ果てたガザが主に仕える場所となったのである。ピリポは、主の導きとあれば何の不満や戸惑いもなく、どこへでも出かけたクリスチャンの模範である。
 ところで、ここに熱心な求道者がいた。まことに高価な聖書を購入して読んでいた。しかし、導く人がいなくてはわからいのである。あなたもかつては、聖書を読んだだけで神がわかり、祈りをささげたのではないと思います。きっと、あなたの信仰を助ける人がおり、それが信仰の先輩であったり、教会の牧師であったでしょう。
 ピリポはこうして、主の御霊の導かれるままに、従ったときに、そこに大切な器が彼を待っていたのである。そして一緒に高価な馬車に乗り込み、聖書からイエス・キリストを語り、信仰に導き、そして洗礼にまで導くこととなる。彼はアフリカの最初の受洗者となったのであり、その後のアフリカはキリスト教の一つの宣教の拠点にさえなって行く。