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2011年9月 1日 (木)

主題 <神のなさることを信仰を持って受け入れる> 

聖書箇所 使徒の働き 11章    (2011年9月 5日)

今日のみことば「人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神をほめたたえた。」(18)

 神さまが異邦人をも受け入れて救いをお与えになられた、ということを理解するのには弟子たちやクリスチャンにとってさえ、とても手間がかかったのである。18節には、使徒団のトップのペテロが自分の体験を懇切ていねいに話しているが、なかなかそれを受け入れられない。ここに人間の先入観、できあがった生き方を変えることの難しさを見る。
 最後的に、人々がこれを聞いて沈黙したことが書かれている。聖霊を異邦人にも与えて下さった、自分たちと同じ賜物を彼らにも注がれたのだと知って、神をほめたたえるまでになった。
 ここには二つの分かれ道があったように思えます。ペテロといえども異邦人を信仰に導いたのはよくないといって否定するような空気でさえあった。もし、ここで異邦人が救われることを確認できなかったら、その後のキリスト教の歴史が全く変わり、キリスト教が世界の宗教になり得なかったのである。神が異邦人にも福音の門戸を開き、働かれたことをはっきりと信じたときから、自分たちの方が間違いだったと悟った。だからその兄弟たちの救いを本当に喜べたし、神をあがめられたのである。
 きわどい経験であったが、考えてみると私たちも同様な瀬戸際を通過させられることがある。人間的な経験、伝統、そういう形式的な事柄から抜け出せないで、結局狭い殻の中に閉じこもり、自分をよしとして来なかったか。もっと心を開いて、神の働きを受け入れる余裕が大切なのだと思う。
神がなさることに信仰を持って受け入れるときから、神への賛美が始まるのである。