主題 <弱さを誇ること 2>
聖書箇所 コリント人への手紙第二12章(2011年11月 5日)
今日のみことば「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(9)
パウロはある体験を通して、弱さを「恵み」という新しい視点から見直すようになっていたこが伺えます。主に仕える彼に、弱さは、なくてはならないものとなっていました。
パウロは第三の天(パラダイス)まで引き上げられるという(2)、特殊な体験をしたことが語られています。それは、人の言葉ですべてを説明できない神秘的な体験だった。それは「主の幻と啓示」でした。普通、特殊な素晴らしい体験をすると、だれかに話したいと思うのではないでしょうか。しかし、パウロはこの体験を心にしまっていました。使徒の働きにも、パウロの他の書簡にも、この体験のことは書かれていない。なぜパウロはこのことについて、積極的に語らなかったのだろうか。
素晴らしい体験をすると、その体験を誇るようになり、さらには体験した自分を誇るようになる傾向が人にはある。パラダイスを垣間見たことは、あまりにも素晴らしい啓示だったので(7)、パウロといえども高ぶる危険があったと考えられたと思われるのです。このような特別な経験を語れば、周囲の人もその人を過大評価し、高ぶりを助長することもあり得ました(6)。そこで神は高ぶりから守るために、パウロの肉体に一つのとげを与えられた(7)。そのとげが何であったかわからないが、彼の肉体に相当な痛みを与え、生活と宣教活動を制限するものであった。とげから来る痛みと不自由は、パウロを高ぶりから守る役割を果たしたと言えます。
主がとげを取り除いてくださるように祈り求めたパウロに、主から意外な答えが返ってきた。それは、神の恵みは今のままで充分であること。キリストの力は弱さのうちに完全に現れるというものであった。主の答えは、弱さを見る新しい視点を与えた。弱さは神に仕える妨げではなく、キリストの力にあずからせるものであった。これは、第三の天まで引き上げられることに優るとも劣らない、新しい理解だったのでした。