主題 <パウロをみならおう>
聖書箇所 コリント人への手紙第一11章(2011年10月19日)
今日のみことば「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」 (1)
コリントでは、公の礼拝では女性は頭に布をかぶる習慣があった。それは邪悪に満ちた都市コリントでは身を守るためにも役立つものであった。かぶりものをしない女性は、大抵が神殿娼婦であったり、髪を剃っているのは奴隷か、罰をうけた女性だったからである。
しかし、自由を求める婦人たちは、異教の女預言者のまねをして、こうこつ状態で預言をしてかぶりものをしなかった。こうした当時の習慣の中で原則を教えているのです。
1,神の創造の業には秩序があること、私たちは神の造られた枠組みの中で活動し、神のパターンによってお互いが建てるべきである。
2,創造の秩序を現実の生活に守ることは、圧力によってできないことである。それは調和ある、相互依存によって実現すべきである。
その原則を特に男女の関係にあてはめている。(11、12)「主にあって」すべてを変える力を持っている。
3,私たちはいつも主のことを思い、主の栄光を多くの人に知らせるためにできることがある。
神は秩序の神であるから、礼拝は秩序を守るためにおごそかに行うべきなのである。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」(25)最初の主の晩餐のことを想起し、意義を知り、ふさわしい行動をするように戒めたのである。主の晩餐は、第一に、主の犠牲と愛を記念するため(24、25)第二に、しるし(26)であり、私たちが主を愛し、命令に従うことを示す方法である。