« 主題 <福音のために共有する生活>  | メイン | 主題 <パウロをみならおう> »

2011年11月 3日 (木)

主題 <試練に耐える道> 

聖書箇所 コリント人への手紙第一10章(2011年10月18日)

今日のみことば「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練にあわせるあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練と共に脱出の道も備えて下さいます。」(13)

イスラエルの人々がエジプトから救い出されたということは、すばらしい経験であった。神は、紅海を分けて海を陸のように歩くように渡らせ、日ごとに食物を与え、40年間彼らを荒野で導かれた。彼らはすばらしい特権と機会を与えられたのである。しかし、それにもかかわらず、彼らは罪に陥った。偶像礼拝し、不道徳なことをし、不信仰の罪を犯し、つぶやいたのである。特につぶやきの心は聖書の中では最悪の罪の部類に入れられる。荒野を旅するイスラエルの民は、繰り返し彼らの指導者につぶやくことによって、神に罪を犯した。その結果、滅ぼす者に滅ぼされてしまうのである。
 この歴史から学び、警告として歩むべきであることを、パウロはコリントの教会の人々に、また私たちに教えている。
 そして、神は試練の中で真実な方であるから、私たちが倒れることがないように支えてくださると教える。耐えられなくなったら、逃れるべき出口を備えてくださるのだ、と励ましている。
 33節では、「私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。」とパウロはこの章で、偶像礼拝にささげられた肉を食べるべきか、否かという問題に帰っている。クリスチャンは、自分の自由だけではなく、他の人がそれによってつまずくおそれのある時、気を配ることを決して忘れてはならないのである。
 私たちの生活の原則は、「すべて神の栄光をあらわすようにする」ということである。神の栄光があらわされるため、より多くの人が救われるために、自分の利益を求めず、他の人のために、神のために生きていきたい。