主題 <惜しみなく施す富>
聖書箇所 コリント人への手紙第二 8章(2011年11月 1日)
今日のみことば「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」(2)
私たちは交わりにおいて、自分が受けることだけを求めて、与えることを忘れてしまうということがないだろうか。
マケドニヤの教会は、激しい試練による苦難と極度の貧困状態にあった(2)。彼らが援助を求めても不思議ではない状態であったとも言えます。しかし、彼らはエルサレムの聖徒たちの困窮を耳にした時、彼らを支える交わりに加わりたいと熱心に願ったことが(4)、パウロによって指摘され非常に賞賛している。そして、彼ら自身の乏しさをかえりみず、あふれる喜びをもって、惜しみなく自ら進んで力以上の援助金をささげた(2、3)。この行為は、彼らの神への献身から出ていたことが触れられている(5)。このように行動をいち早く起こしたのがコリント教会でした。
しかし、この具体的に始った支援が何かの理由で滞っていたようである。そこでパウロは、マケドニヤの諸教会のことを紹介して、コリントの兄弟たちが、エルサレム教会への献金をし遂げるように勧めている。彼らがもう一度初心に返って、この恵みのわざを完了することは、彼らの益になることでもありました(10)。また、困窮している教会を助けることは、私たちを富ませるために、あえて貧しくなってこの世に来られたキリストの恵みを受け、証しする教会にとってふさわしいことであることを語り勧めました(9)。
きょう援助を受ける教会が、明日は援助する教会になり、きょう援助する教会が、明日は援助を受けることになるかもしれない。いずれにしても、互いに支え合い、交わりが築き上げられることが、今日の時代にも問われているのではないでしょうか。