主題 <キリストは神の力、神の知恵>
聖書箇所 コリント人への手紙第一 1章(2011年10月 9日)
今日のみことば「しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(24)
コリントはアテネと並んで当時のギリシャの中心でした。パウロがエペソで牧会している間にコリント教会のことを心配して書いたのです。教会は、どこでも、いつも成長途上にあります。はじめてパウロが開拓伝道をし、大きな教会となりましたが、この教会が整えられたキリスト教会となるために多くの問題が克服される必要があったのです。私たちは、時折、教会のことを思うときに、今現在の状況を憂いたり、不満を持ちやすいですが、教会の主はキリストであることを覚えましょう。
この教会には、分派や近親相姦、信者間の訴訟、結婚、偶像に関する考え方、霊の賜物の問題、貧しい人々への援助、復活信仰を否定する者たちがいたのです。
こうした問題は、現代の教会にも起こりうることですから、遠い国の昔の出来事ではないのです。こうした問題の中で使徒パウロは、絶えず祈りとみことばによって訓戒し、導き続けたのです。
いつの時代も自分の知恵をほこり、支配したがる存在がいます。しかし、ほんとうに目を留めなくてはならないのは、どんな人物でも、ユダヤ人の5000年の知恵でも、ギリシャの哲学の知識でもありません。キリストこそ、召された者にとっての神の力であり、神の知恵なのです。
「神はこの世の知恵を愚かにされた」(20)と言われている。それはこの世の知恵では神を知ることができないからです。神とその力を知ることなくして一切は無益となるのです。どれほど人々を感心させ、動機づけ、成功したように見えて、神の世界では盲目なのです。
神の世界の中心は、十字架です。この十字架のことばは救われる私たちの力です。罪のゆるしと神の御国に生きることは、だれも誇らせないのです(26-31)。