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2011年11月23日 (水)

主題 <夫たちよ。妻たちよ。>

聖書箇所 エペソ人への手紙 5章 (2011年11月17日)

今日のみことば「それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」(33)

 パウロは5章22節から6章9節で、キリスト者の社会での在り方について指導し、特に、人間関係について言及しました。この点に焦点を絞って2日間にわたって見ていきたいと思う。
まず、はじめに夫婦の在り方について言われている。夫婦関係が人間関係の基礎となるものだからであるとパウロは指摘していると思われる。
妻に対しては、「主に従うように」(22)夫への従順が求められる。パウロはその根拠として、「夫は妻のかしらであるから」と言っている(23)。しかし、ここで注目しておくべきことはこの命令は、「キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように」と補うように言われており(23)、このことは頭なるキリストと夫になぞられ、夫の側の大きな責任がまずあることを示している。
パウロは、夫たちに呼びかけて、キリストが教会を愛し、ご自身をささげられたように(25)、また、自分自身のからだのように(28)、妻を愛するようにと命じている。
キリストが教会を愛された目的は「教会をきよめて聖なるものとするためであり……教会を、ご自分の前に立たせるため」と言われている(26、27)。夫が妻を愛する目的も同様に、妻がきよめられ、妻を神の御前に立たせることにあることが分かる。しかし、妻だけが一方的にきよめられ、成長していくということではなく、夫が妻を愛するという日々の歩みということから考えるならば、夫と妻が共に主の御前に成長していくことが求められているということであると言えよう。そして、夫の妻への愛の模範として、キリストの教会への愛が挙げられている。そして、「自分のからだのように」という点は、妻に対する身体的にも精神的にも、その状態を知り、その最善を願うことを含んで愛することを勧めていると言える。
このようなキリストと教会との関係と愛になぞって、夫婦関係が豊かに築かれていくことが、結果として、このように対しても証しとなり、ついには神に栄光を帰していくものとなることを教えられたのでした。夫婦関係を見直す時にこそキリストのことばに聞き続けていくことが大切である。