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2011年11月 3日 (木)

主題 <誇る者は主にあって誇りなさい>

聖書箇所 コリント人への手紙第二10章(2011年11月 3日)

今日のみことば「誇る者は、主にあって誇りなさい。」(17)

テトスの報告によって、大多数のコリントの信者たちは悔い改め、パウロを支持するようになっていました。しかしまだ少数ではあったが、パウロの使徒としての権威を認めず、コリント教会を支配しようとしている人たちがいました。彼らの非難は、パウロは使徒として弱々しい、人間的な打算や考えによって行動している、最初の十二使徒ではないのでキリストに属する使徒ではない、というも批判でした(1、2、7、10)。
このような非難がコリントの教会に悪影響を与えると考えていたパウロは、再び自らの使徒性と主張していきます。パウロはキリストの使徒として召されたことを確信し(7)、主の教会を立てる権威を授けられていると主張する(8)。また、パウロはこの世の「思弁と神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶり」と戦う霊的な戦いの中にあったことに触れて、この戦いは、「肉に従って」、「肉のもの(武器)によって」戦うのではなく、神の力による戦いをしていくことを語っていきました(3-6)。
パウロは批判者たちと自分を同列において優劣を競う、知恵のない愚かな比較をするのではなく(12)、神がパウロを使徒として召し、彼にコリント宣教をゆだね、教会を建てる働きをゆだねられていることこそ、パウロの正当な誇りでありました(13)。
パウロはあらゆる非難されることばの中にも、忠実に主の教会の建てあげのために労してこられたのは、主からの確かな召しにあったことがよく分かります。そして、それはどんなに弱い中にあっても、しっかりとした土台であったということができます。
パウロは自らの学識など誇れるものはたくさんあったかもしれません。しかし、むしろ自らの罪深さ、弱さを告白し、そのような者を救い、今は福音宣教のために召して下さったことを主にあって誇っている姿に、キリスト者としての誇り、その意味を示してくださっているのではないでしょうか。