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2011年12月24日 (土)

主題 <御子が人となられた目的>

聖書箇所 へブル人への手紙 2章(2011年12月20日)

今日のみことば「ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。」(9)

 1~4節では、神が御子によって語られたことを聞いて、ますますよく理解するように、またそれを土台として生活をし、押し流されないようにと警告されている。救いは最初、御子によって語られ、それを直接聞いた人たち、特に使徒たちが、確かなものとしてこれを宣べ伝え、神は、さまざまの奇蹟により、また聖霊のお働きにより、証しされました(3~4)。「押し流されないように」という警告の言葉を注意深く聞く者とならなければならない。今日の時代も、時代の価値観、風潮に流されないように、聖書のみことばに注意深く聞くことを大切にしていかなくてはならない。
5~18節では、1章でも触れられていたことでもあったが、御子は、御使いよりもまさることについて続けて言われている。神は、御使いではなく、人となられた御子を万物の支配者とされました(5)。人間は、罪のために、万物の支配権を失ってしまったが(6-8)、人となられた御子は、しばらくの間、御使いよりも低くされ、すべての人のために死の苦しみを味わわれ、復活し、天の父なる神の右の座に引き上げられて万物の支配者とされ、また私たちをも支配者としてくださることが言われています(8-13)。
御子は、私たちが神との交わりを回復し、神の民としての歩みをするために、人となられた方であり(14)、そして、私たちの身代わりとなって十字架の死にまでも従われ、悪魔の力に勝利され、私たちをも悪魔の力から解放してくださった方であると言われています(14~16)。
そして、人となられた御子は、私たちの罪に対する神の怒りをなだめ、また試みられている私たちを助けることのできる、大祭司ともなられたのであると言われています(17、18)。
 御子は人となられるという点で一度は低くなられた方でしたが、その目的は私たちの罪の赦しのために十字架にかかわれるためであったこと、私のためであったということをもう一度確認し、感謝する者でありたいと思います。