主題 <かまを入れる時>
聖書箇所 ヨハネの黙示録 14章 (2012年 2月10日)
今日のみことば「すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」」(15)
子羊なるキリストがシオンの山に立ち(1)、御座の前で(3)賛美する144000人の人々は、地上で起こる出来事のようであり、天国で起こる情景のようです。地上で神をほめたたえ、天上でほめたたえる聖徒たちの大合唱が一つにされているようでもあります。
この人々は、神と子羊にささげられる初穂である(4)。贖われた人でしか歌うことができない新しい歌なのです。イエス・キリストの十字架の贖いが私たちに希望と愛を生み出しました。愛されたものだけが歌えるのです。
主にあるこの幸いについて、13節では死を迎えるときでも平安があり、おびただしい苦しみからの解放が与えられると述べているのです。目立たぬ小さな信仰のようですが、主を信じたものが受けている命は限りない力をもたらすのです。大きな苦難の最中にもかかわらず、神の教えを心から愛して守り抜き、主イエス様への信頼を最後まで持ち続ける忍耐が生まれていたのです。
神のさばきにあたって、人の子すなわち主イエス様が大きな役割を果たします。白い雲に乗ってこられる方は、かつて二千年前、人々の見ている前で昇天したように、再びこられるのです。(使徒1:9)主の頭に金の冠をかぶっているのは、いばらの冠に変わって栄光のものに変わっており、手には葦の杖ではなく、さばきのかまをもっているのです。15節の「もう一人のみ使い」とはよくわかりませんが、「地にかまを入れてください。取り入れるときが来ました。」と叫んでいたといいます。この地の「時」を見つめているみ使いがいることを改めて気づかされます。時の中に私たちは生かされており、今がどのような時かわきまえているつもりです。でも、この世界の動向を正しく認識しているお方がおられることを覚えて、今を動揺せずに、大切に生きましょう。社会が動揺する中に、「動かぬ御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」(ヘブル12:28)。天の神は焼き尽くす火でもあります。やがて、この地の罪と悪の熟した収穫物であるブドウの房が神様のさばきの火に加えられて、神の怒りを執行される日が来ようとしています。神の正しさは人の怒りに遠く及ばない真実なさばきなのです。未来の神の審判の時が必ずくることを予想しつつ、矛盾した今の時を正しく生きる一日としましょう。