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2012年3月20日 (火)

主題 <主の祝福を基として>

聖書箇所 創世記 26章    (2012年 3月16日)

今日のみことば「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。」(12)

 イサクはかつてアブラハムも滞在したゲラルの地に留まるように命じられた。このゲラルの地を治めるアビメレク王の前にアブラハムは自分の身を守るため、妻サラを妹と偽った失敗をしたが、イサクも同様に、妻リベカを妹と偽った。繰り返される失敗にあきれる思いを持つかもしれない。しかし、これが人間の弱さであり、罪深さであることを明らかにしていると言える。何度も同じ様に繰り返される愚かしさ。でも、再三の失敗の中にも、悔い改めの機会が備えられていることは恵みである。信仰は、繰り返してしまう失敗の中にもその経験が成長させてくれるというのも事実である。神は、イサクの失敗にも関わらず、祝福されていく(12)。
 しばらくして、井戸のことでゲラルの人々としばしば争いが起こるようになった。イサクは争いを避けて移動し続け、レホボテへと導かれ、さらなる祝福を頂くようになった。力が増していくイサクに脅威を感じたアビメレクはイサクと平和協定を結ぼうとしてイサクのもとへやって来た。イサクはこの申し出を受け入れ契約する。ゲラルを負われるようにして出て着たにも関わらず、イサクは豊かに祝福を受けてきた証拠であった。
 イサクもかつての父アブラハムと同じような失敗をくり返しながら、しかし、本当に祝福を与えて下さるのは、人によるのではなく、力によるのでもなく、ただ、神のみが祝福を与えて下さるということを一つ一つの事件が起こる度に、学び教えられ導かれてきたと言えよう。  私たちも主への信頼、そして、祝福の基を主への信仰の上に、与えられていくということを確信して歩む者とならせて頂きたいと思います。