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2012年3月20日 (火)

主題 <長子の権利> 

聖書箇所 創世記 25章    (2012年 3月15日)

今日のみことば「ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」(34)

 アブラハムは全財産をイサクに与え、175歳で地上の生涯を終え、妻サラが葬られたマクペラのほら穴に葬られた。そして、イサクがアブラハムに与えられた約束の継承者として歴史が刻まれていく。
 イサクとリベカのうちにまだ子供が与えられないでいました。かつて父アブラハムが経験したかのようなことをイサクも経験する。しかし、イサクはリベカのせいにするのではなく、むしろリベカを思い、自分のことのように主に祈り嘆願し続けた。祈り続けて20年の歳月が流れた時、エサウとヤコブの双子が与えられたのだった。
 この二人は、兄弟でありながら、その性格の違いがはっきり見られるほどの個性の違いが見られた。エサウは巧みな猟師となり、ヤコブは天幕に住む人となった。
 ある時、エサウが狩りから帰ってきたが、その疲れと飢えから、ヤコブが煮ていたレンズ豆の煮物と引き換えに、長子の権利を交換してしまうということが起こる。たかが食べ物で、相続権、家長となる長子の権利を引き換えてしまうエサウもエサウだが、このことを言い迫るヤコブの悪賢さも問題であった。このことは、兄弟に今後大きな亀裂を生むこととなる。
 注目したいことは長子の権利を軽蔑したエサウである。エサウは「それが何になろうか」と言って、神の祝福を受け継いでいく恵みを軽んじてしまいました。今は特段何も変わりがないように見えて、しかし、神の祝福を受け継ぐということがとても重要であることが分かりませんでした。今日、信仰を継承していくということはこの恵みを受け継ぐという意味で重要なことであることを教えてくれています。