主題 <神の創造の御業>
聖書箇所 創世記 1章 (2012年 2月20日)
今日のみことば「そのとき、神が、「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。神は、この光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。」(3~4)
創世記1章は天地万物の創造の御業が語られている。すべての創造の御業は神のことばにはじまっている。この神の創造について以下の事を覚えたい。
第一に、神のことばの力である。神の一声によって万物は創造された。この神のみことばは、今、聖書として書き記され、私たちはまさに、神のみことばに触れさせて頂いているということは何にも増して驚くべきことであるということを確認したい。
第二に、神は光を創造され、やみに区別を与えられたということである。神の創造のはじめが「光」であったということは、非常に象徴的である。「光」について言えば、ヨハネ8章12節「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」」とあり、新約聖書では「光」は主イエスを指しており、ヨハネ1章5節「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」とも言われ、やみを一掃される光のように主イエスが輝き、勝利を与えられる方として言われていることを考える時、神の創造のはじめはあらゆることに対する神の支配、そして、神の導きの中に被造物はあるということを覚えなくてはならない。
現代社会に生きる私たちは、この世のやみを見て恐ろしさを覚えることがあるが、しかし、光を備えられたという事実を覚え、神の導きに希望をおく者とさせて頂きたい。そして、詩篇119篇105節「あなたのみことばは、わたしの足のともしび、私の道の光です。」との告白のように、主のみことばの導きを求めていく者とならせて頂きたいと思います。