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2012年4月 2日 (月)

主題 <知恵を用いて誠実に生きることを養うこと>

聖書箇所 創世記 30章    (2012年 3月20日)

今日のみことば「それで、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようになった。」(43)

 ラバンのもとでの14年間はかつてヤコブが経験したことのない試練、自らの愚かさをとりあつかわれる時となった。しかし、この経験はヤコブを少しずつ変えていくこととなり、再び主の祝福を受け継ぐ者として祝福されていくようになる。
 ヤコブの帰郷の願いには、ラバンから独立し、妻子と財産を自分のものにしたいという思いも含まれていた。ラバンは自らの財産が少なくなることを恐れるが、しかし、ヤコブはそれに反して財産は増えていき、ラバンは、自らがヤコブの背後におられる主の祝福を受け、財産が飛躍的に増加したことを認めざるを得なかった。ヤコブは欺きを経験しながらもが、忠実に働いたのである。この時、ヤコブは様々な知恵を用いた(37-40)。その知恵が功を奏し、「弱いのはラバンのものとなり、強いのはヤコブのものとなった」(42)とある。ヤコブは、大いに富む者となった(43)。
 今日の私たちも、ヤコブのように、確執のある人間関係の中で、信仰者は生きなければならないときがある。しかし、ヤコブのように、欺きに対して欺きで返すのではなく、主が共におられるのならば、確執の相手に仕える知恵と力が与えられる。いつの日かその者が、あなたの背後におられる神を認めるかもしれない。この時は、まだ自分の才覚や勤勉さが前面に出る「ヤコブ」(押しのける者)であった。しかし、主はあわれみをもってヤコブに御手のわざを経験させ、主の円熟に導こうとされていたと見える。
 神の見えざる御手が今、私たちにも及んでいることを覚えたいと思います。