主題 <ユダのとりなし>
聖書箇所 創世記 44章 (2012年 4月 3日)
今日のみことば「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」(33)
ヨセフから歓待された兄弟たちであったが、再び、事件が起こる。ヨセフの銀の杯が無くなったというのである。身に覚えのないことであることを兄弟たちは訴えた。しかし、銀の杯はベニヤミンの袋から見つかった。これらはヨセフが家の管理者に命じておいたことで、兄弟たちを試すために行ったことだった。
兄弟たちは何ゆえにこのようなことが起こったか分からなかったが、ヨセフの前に何の申し開きもせず、ヨセフの奴隷となると言いました。かつて、ヨセフを夢見る者とあざけり、ヨセフの見た夢は兄弟たちが、両親までもがヨセフに膝をつき仕えるようになると言われていたことは、まさに現実のこととなった瞬間だった。
ただ、夢の実現ということだけでなく、今日の箇所から確認したいことは、かつて兄弟ヨセフを売り渡した時のようではなく、兄弟たち、特に、ユダは弟ベニヤミンのためにとりなし続け、自分が身代わりになろうと申し出たことである(33)。
ユダはキリストの型であると言われている。とりなしをし、徹底的にへりくだり、身代りとなられたという姿は、まさに十字架にまで従われ、いのちをもささげてくださったことを改めて覚えたい。
まもなく、受難週、そしてイースターが近づいている。キリストの十字架によって示された愛を覚え、キリストのなされた御業に感謝をささげよう。そして、ユダやイエスの歩まれた姿から、今日、あなたの隣人のために愛し、仕える者とならせて頂きたい。