主題 <誠実を尽くすヨセフ>
聖書箇所 創世記 39章 (2012年 3月29日)
今日のみことば「監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」(23)
39章は、再びヨセフの話に戻り、物語は続いていく。
エジプトに連れて行かれ、ポティファルに買い取られたヨセフは、その家で、主人の絶大な信頼を受けた(1-6)。と同時に、主人の妻からのしつこい誘惑も受けた(7)。しかし、ヨセフは、彼女の誘惑を断固拒否し続けた(8)。しかし、そのような、ヨセフの忠誠にもかかわらず、主人はヨセフを誤解し、彼を投獄してしまう(19-20)。ヨセフの主人ポティファルへの忠誠は、顧みられることはなかった。信頼関係を築こうとしても、時として誤解を受けて関係が損なわれることは今日の私たちの人間関係にもしばしば起こることである。
しかし、ヨセフは投獄されても、その監獄の中でも、監獄の長に忠実に仕えることによって、監獄の長から絶大な信任を受けている(21-23)。誠実を尽くし続けていくヨセフの姿に学ばなくてはならない。
なぜ、ヨセフは人を恨み、自暴自棄になるところなのに、なおも人に忠誠を尽くしていくことができたのだろうか。それは、ヨセフの主なる神への忠誠、つまり、正しくさばかれるお方に対する忠誠にあるのであろう(9後半)。もう一つ注目したいことは、「主がヨセフとともにおられた」ということが、繰り返し出てくることである(2、3、21、23)。これは、ヨセフの主に対する忠誠(愛と信頼)よりも、主のヨセフに対する誠実(愛と恵み)の方が勝っていたと言える。どんなに失望させらえることが起こっても、主はヨセフを見捨ててはおられなかったのである。
主は誠実に生きる者のただ中に共におらえることを覚えよう。