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2012年4月 2日 (月)

主題 <ひとつのきっかけ>

聖書箇所 創世記 40章    (2012年 3月30日)

今日のみことば「ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」」(8)  
40章には、獄中にいたヨセフが、エジプト王の献酌官長と料理官長のふたりの夢を解き明かしたことが記されている。
 ヨセフは、主人の誤解によって監獄に入れられていたが、その監獄に、エジプト王パロに罪を犯した献酌官長と料理官長の二人の廷臣が入って来た(1-3)。その二人が、同じ夜に夢を見たのであるが、その夢には意味があった(5)。それぞれの夢の意味を、ヨセフが解き明かした(12-15、18、19)。
ヨセフの夢の解き明かしは、この後のヨセフの生涯を大きく変えていくことになるが。この時点では何ら自覚されることなく、また、夢の解き明かし通りになった献酌官長でさえ、夢の解き明かしをしてくれたヨセフのことを一時的には忘れてしまっている。ヨセフにとって夢の解き明かしをしたことは、監獄と言う閉鎖的な場所における一つのささいなことであったととれる。しかし、この夢の解き明かしを導かれたのは神ご自身であり(8)、このひとつのささいなことに思えることが、大きく人生を変えていくことになっている。
私たちは、しばしば問題の解決につながらないと意味がないと安易に考えていないだろうか。ヨセフの場合、夢の解き明かしをしたことをきっかけに監獄から出れるように取り計らって欲しいと願いますが、その後、2年間も忘れ去られてしまう。その意味では、何の解決も見られなかったと言える。しかし、ヨセフがしたことは実は絶大な信頼を生み出し、将来、用いられていくことになるのである。
小さなことにも忠実に、誠実に行い歩むことが、大いなる幸いの近道になることを覚えたい。