主題 <願いがかなうことの再考>
聖書箇所 民数記 32章 (2012年 7月20日)
今日のみことば「もし私たちの願いがかないますなら………」(5)
ルベンとガド族の選択は、多くの教訓を含んでおります。約束の地を前にしてどのような選択をしていったか、という点についてです。
ルベンとガド族は、多くの家族と家畜を持っていました。約束の地はヨルダンを渡った土地です。ところが、約束の地よりも、ヨルダン川の手前の方が緑豊かで、多くの家族と家畜を養うのに非常に有利に見えました。
その願いが出されたとき、モ-セたちは悩みました(6~7節)。このことが、イスラエルの意気をくじいたのです(7,9節)。
彼らの願いは、戦いに出る事を条件で許されました。「もし私たちの願いがかないますなら」という願いが申し出のとおりにかないます。この知らせを聞いた一族はきっと、手をたたき、歓声をあげて大喜びをしたに違いないのです。
しかし、彼らの目に良く見える場所は致命的な欠陥がありました。自然の国境が無く、しかもイスラエルの他の部族と孤立していたので、背後にある強い外敵によって、真っ先に滅ぼされてしまうのです。
こうして見ると、利殖の道に明るい者が必ずしも最後の勝利者にならないことがわかります。私たちの得をする方法を願うことが本当の幸福をもたらさないことも知ることができます。
神は彼らの願いを聞かれた一方で、たましいをやせさせられたという現実です。時に、願いが閉ざされている困難のうちに、最善の種が蒔かれていたということがしばしばあります。
<祈り>主よ。直ぐ目に見えるところで損得を考えやすいのですが主に従う ことによってのみ最後的な祝福を得られることを心に覚えさせてください。