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2012年7月 2日 (月)

主題 <祭りの意味から考える>

聖書箇所 レビ記  23章    (2012年 6月14日)

今日のみことば「イスラエル人に告げて言え。あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。」(2)

 神は、イスラエル人のために、年に数回の祭りを定められた。
●安息日(3) 神が天地創造の最後の七日目に休まれたことに起因している(創世2:2~3)。また、神がイスラエルを、エジプトから連れ出されたことを覚える日でもあった(申命5:15)。
●過越の祭り、種を入れないパンの祭り(4-14) 過越は、ニサンの月(当時の宗教暦の一月)の十四日に行なわれた。エジプトから脱出する際の最後の奇蹟、すなわちエジプトの初子が殺されたときに、いけにえの血によって、イスラエルを神のさばきが過越したことを記念するもの。その後の七日間は種を入れないパンを食べた。初日と七日目に聖なる会合を待った(7、8)。約束の地においては、収穫の初穂の束を祭司の元に持って行った(9-14)。
●七週の祭り(五旬節)(15-21) ニサンの十六日から数えて七週後に持たれた。小麦の刈り入れの、初穂の祭りであった(出エジプト34:22)。
●新年の祭り(ラッパを吹き鴫らす日)(24、25) ニサンの月から数えて、第七月目の第一日。一般の暦では、新年の一月であった。この月は、年に一度の贖いの日がある大切な時である。最初の日にラッパを吹いたが、それは間もなくやって来る大切な日の予告でもあった。
●蹟罪の日(26-32) 年に一度第七月の十日に、大祭司によってイスラエルの罪が聖められた二六章)。皆が「身を戒め」、罪を悲しむ時であった。
●仮庵の祭り(33~43) 七月十五日より始まった。収穫を大いに喜び、神に感謝をささげる時であった。
 以上の祭礼について、明確な目的が示され行うように命じられていた。今日、私たちが、神の御前にささげられる礼拝の意味を改めて考え、豊かなものとなるように備えていきましょう。