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2012年9月20日 (木)

主題 <主からの使命の不徹底>

聖書箇所 士師記 1章      (2012年 9月21日)

今日のみことば「主がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった。」(19)  

 士師記は指導者ヨシュアの死後のイスラエルの民がカナンの地にてどのように生きたかが語られており、ヨシュア記に引き続くイスラエルの歴史を見ることができる。
 ヨシュアは主の民を約束の地に導き、各部族ごとに相続地を割り当て、そこを占領するようにと命じていた(ヨシュア23:4~6)。民は割り当てられた地を、主のものとしていく必要があったが、徹底していなかった。
 最初ユダ族は、ペリシテ人の地において勝利を収めたようだ(18)。しかし、占領できなかった。谷の住民は鉄の戦車を持っていたからだと記されている。主が共におられたのに勝利を完遂することができなかった(19)。ベニヤミン族も同様であった(21)。そこには最後まで占領を徹底しない、イスラエルの問題がある。
しかし共通の弱さが私たちにもあるのではないだろうか。捨てるべきものを捨てず、やめるべきものをもやめない甘さはないだろうか。自らの力ではなく、共におられる主の力に信頼する必要があるのは、現代の信仰者も同様である。小さな妥協は、次の大きな妥協を生む。
 士師記の最大のテーマは、民の不徹底、不従順と言える。追い払うべき民を追い払わず、やめるべきことをやめなかったので、霊性は落ちていった。しかし、ヨセフ族には完全な勝利があった(22-26)。主の臨在と共に、知恵を用いての勝利であった。民が主に従うことの重要性は、繰り返し強調されている。失敗のときにこそ、真の悔改めの実を結ぶチャンスとしよう。