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2012年9月20日 (木)

主題 <戦いの中で取り扱われる主> 

聖書箇所 士師記 2章      (2012年 9月22日)

今日のみことば「彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」 」(22)

主の契約の民は、カナン人と契約を結んだり、異教の慣習を残してはならなかった(2)。しかし、イスラエルの民たちは主の命令に徹底することができず、何度も失敗を繰り返す民に、主はさばきを伝えた(3)。民は声をあげて泣いたが、真の悔改めには繋がらなかった(4、16-19)。ヨシュアとその世代の民は、失敗しつつも、主の大きなわざを見、主に仕えることを知っていた(7)。しかし次世代の者は、主を完全に捨て去り、他の神々に仕えるようになってしまった(10)。
 11~19節には、士師記の中にたびたび繰り返されるパターンを見る。それは民の背信→主のさばき→民の悔い改め、嘆き→士師による救い→ふたたび背信というパターンである。ここでもイスラエルは、さばきつかさにも聞き従わず、士師の死後はなお堕落する(17、19)。民は主のあわれみによってのみ守られるのだが(18)、不誠実を犯し続けていく。
 主はカナンの先住民を、イスラエルの周囲に残された。それはイスラエルが「主の戦い」を貫徹できなかったためだが(20)、主は戦いを与えることによって、実際にイスラエルが主に従うかどうかを知ろうとされた(21、22)。困難な闘いの中で、それでも主に従っていくかを試される、訓練されていくことがある。私たちも日々の闘いの中で、信仰の勝利を得ることができるように祈ろう。